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新潟中越地震/被災地レポート(1/3ページ)


前回のレポートでは、震源地の混乱状況について述べた。その混乱がどのようなエネルギーによってもたらされたか、2004年12月12日〜13日に被災地の詳しい調査を行った時の写真をまとめた。震災後1ヶ月半が過ぎ、仮設住宅が整備された直後である。


小国町から法末地区へ入る唯一のアクセスルートが分断された...。


小国町法末地区内の国道。ここに民家がなくて良かった。

その夏の水害によって水分を多く含んでいたこともあり、山腹崩壊が多発したとも考えられている。山古志村を代表とし、孤立する地区が多くあった。ここ法末地区の住民は高齢者が多く、透析患者もいた。


小千谷市吉谷地区。激震によって2階部が破壊された。


同地区。高基礎と1階部を残しているが、2階部は潰れ、屋根全体が落下した。


落下した屋根の拡大。柱頭のホゾが剪断されている。

雪国の小屋組は非常に強いが、それを支える柱の接合方法と地震力を受ける耐力壁が弱く、かつ耐力壁のバランスが悪いことが問題であるとわかる。この当時の建築基準法では致し方ない。現在では平成12年度建設省告示1460号の規定があり、柱脚柱頭の接合方法の仕様が決められ、計算によって求めることになっている。しかし、計算しているからといって、絶対に安全ではない。

屋根が落ちた家近くのおばあさんの話によると、本震で集落の人々が逃げ出してこの家の前で話しているときは2階部が変形しているだけだったが、次の余震で2階部を潰して反対側に屋根が落ちたのを目撃したようだ。相次ぐ余震で、怖くて家に入れないと言うのがよくわかった。

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